北海道胆振東部地震

未明から始まるまさかの警戒態勢

午前3時。次の日がちょうど遅番で12時出勤だったもので、夜遅くまで次の住処を調べていたのだが、そろそろ寝ようとベットにもぐりこんだ瞬間、突如「非常に嫌な突き上げ」を感じた。
記憶にあったのは、東日本大震災の時にも感じた「突き上げるような変な縦揺れ」
これはやばい、そして隠れる暇もないと判断し、とっさに布団を被った瞬間、スマホ達からのけたたましい音声と共にその揺れはやってきた。

これまで生きていた中では感じた事のない最大の揺れ。頭になにか落ちてきた感覚を感じながら、さすがに建物(鉄骨製)もただでは済まないかも・・・とか、積み上げた本棚やサーバ、買ったばかりの板タブがやばい・・・と思ったが動けば確実にけがでは済まない・・・とも思い、全く動くことができなかった。

揺れが収まり、恐る恐る電気をつけて確認したが、箱に入っていたFigmaや空箱が落ちてきた以外は被害なし。アパートの面構造に対して垂直方向に本棚を組んでいたため、揺れは横方向に揺れただけで済んだので倒れることはなかった事は救いだった。未開封だった聖剣も守られた。
テレビをつけて地震情報を確認したら驚いた。道内でまさかの震度6強。
その後の結果で震度7に変更されたが、震度計計測がされるようになった1996年以降初めてと報道されたが、そりゃそうだ。札幌付近に住んで長いが、その中でも記憶にないほどの揺れだったのだから。

ただの揺れで済むのであればよかったのだが、その後15分程で停電が起きてしまった。
おそらくどこか断線でもしたのだろう、さすがに政令指定都市での停電だしすぐ回復するだろう・・・と、見れなくなったテレビからradikoに切り替えて暫く聞いていたが、これはやばいと、暗闇の中であいぽんのライトを頼りに、大事な資料を集めて避難準備を始めた。
全道まるごと停電というのは過去に例はないからだ。
何度かの余震を挟みつつ、暗い場所では危険だし、とりあえず明るくなってから行動しようということにした。

サバイバルな1日

余震に警戒態勢を敷いていたのでろくに眠れず、テレビも見れず、radikoも途中から聞くことができなくなり、ワンセグは電波の谷間エリアなので見ることができず、情報が全く得られなくなってしまった。以前に手回しのラジオをもっていたのだが壊れていたため破棄していた。懐中電灯も探したが見つからない。己の災害意識の低さを改めて自覚することになってしまった。

改めて確認したが、自宅には被害は殆どなかった。冷蔵庫のモノはもう絶望的ではあったが、低階層アパートなので水は出るし、プロパンなので火も使えた。
高層マンションの水道はポンプでくみ上げているはずなので、上部タンクが空になれば確かに水は出なくなる。水を汲みに奔走している住民をチラチラ見かけるも、至って静かないつもの朝であった。
皆冷静なんかねー。それとも無関心すぎるのかねー。ちょっと不気味に感じたが、とりあえず、ブレーカを落として、近所のHTBへ情報拾いになんとなく行ってみた。

・・・特になにもなかった。(笑)
でも、ここも間もなく見納めになるんだよなー。
後に、自家発電が切れてスタジオが暗くなってしまった・・・とか、トラブルのためロビー開放する余裕はなかった模様。

引き返し、近くの小学校で避難所を開設していないか確認しに行った。途中のイオンには行列ができており、セブンイレブンは開けて販売を行っていたがやはり行列。迎えのローソンは逆に休店決め込んでいた。信号機は表示がなく切れていたり、遠くで救急車の音がひっきりなしに聞こえてきていた。通勤のサラリーマンたちが足早に駅に向かうが、写真の通りなのでがっかりして別な方法で向かっていった。見たことのない光景で、ちょっと焦る。

水や火は使えるとしても、当面の問題は食料である。
コンビニに頼りすぎな気がしなくもないが、停電が長期化するのかどうかわからないが、コンビニなどで並んだとしても手に入る気がしなかったので、避難所でご飯がもらえないかなーという期待もあった。指定避難所には備蓄食料があるはずなので。

早すぎたようだ。(笑)

その後、ラジオからテレビが設置され、太陽発電から引っ張り出した電源からスマホ用の充電ができた。長期化を想定しつつ、半分使い切っていたスマホとモバイルバッテリーを充電しながら状況把握と共に若干の仮眠をとることができた。体育器具のマットで寝たのはいつぐらい振りか・・・。癖になるにおいが懐かしかった。。。(おいおい)
その後避難所は老若略男女約5~60名くらいまでに増えたが、近所の小さい子供づれの親子が我が物顔で場所を陣取り、寝ている人もいるエリアをばたばた走りまわせたりされた。広いから子供はどうしても走り回りたくなるだろうけども、寝ている周りでバタバタされるのはなーちょっと迷惑。充電エリアにつなぎっぱなしにしながらLINEやっていたりとか、テレビ見ている前に何も言わずに陣取ったり、節操のないバカ親子共を見ていると、とても残念に思ってしまった。

モバイルバッテリー持っててよかったなー。

だが、電波状況はやはり徐々に悪くなっていった。混んでしまった影響なのか、先に不調になり始めたのはdocomo回線。線が徐々に消えていき、圏外も起きてしまった。auは圏外になることはなかったものの、通信スピードが極端に落ち、ツィッターがまともに受信できない事が多発した。
その中でも中々のレスポンスだったのはLINEだった。会社状況も共有でき、自宅待機になったことを確認できた。

避難所で配られたのは「安心米」という水で戻せるご飯。(スプーン付き)
見通しがないプチ避難所生活でも、こういうのがあるとやはり安心するね。
昼御飯用だったが、量もそこそこあるので半分残して持ち帰ることにした。

終焉と反省

蓋を開けると、市内では路面トラブルがあったり、震源に近い安平町ではひどい災害となっていて愕然としてしまった。

今回の停電は、メインで回していた苫東火力発電所が地震によってダウンし、供給バランスが大きく崩れた結果発生したとのことで、復旧には1週間ぐらいかかるという、経産省のツイートを見て、暗い夜で過ごさなければならないことを想定して、自宅に戻って水の確保や食料のチェックを行い、備えていたのだが、午後5時過ぎにブレーカを上げてみると部屋内の照明が点灯。コンセント周りをチェックしながら復旧を確認。JCOMもテレビも見れるようになった。

今まで、避難民になったことは(運が良かったのか悪かったのか)無かったので、長期の停電がこんなに人の心を不安にしてしまうことが今回よく分かった。

現在住み替えのために部屋のモノを減らしている段階であるが、災害意識を見直し、カートリッジガスコンロやラジオなど用意しようと思う。

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