平成を振り返る

振り返れば奴(見えないもの)がいた

平成が間もなく終わり、今度は「令和」となる。
高校を卒業したのが平成2年だから、今のところの人生の大半が平成の時代というべきところだが、振り返れば「紆余曲折しながらもいろいろ振り回されて結果は出せなかった」そんな情けない時代だったといえる。

主体性なく、何となくな気分で過ごしてしまった事も問題ではあるが、気がつけば、ちょっとした失敗でも中々許されず、余裕も無くなり、外的要因で簡単に仕事が無くなったり、賞味期間があとわずかになってしまうと、のし上がることも困難な、色々な意味でかじ取りが難しい時代となってしまった。

厳しい。厳しいねぇ。

ただ、昭和から平成に代わるときに感じた重たい「日本全国お葬式」感が変わって、一種の「ゆく時代くる時代」として明るく過ごすことができるのは、やはり天皇陛下の英断だと思う。
報道からでしか分からない部分もあるが、昭和のツケを清算しつつも「象徴」としての重責と正面から向き合った30年だったのだろうなぁと思うと、根性の全くない自分が情けないなぁと思ってしまった。(重ねるのも烏滸がましいけど)

気が付いたら・・・

  1. いつの間にか母校が無くなっていた
    わが出身校である高校小学校が統合の波に晒されて無くなっていた。人口減の街なので仕方ないとも思うが、何か寂しいものがある。
  2. いつの間にか仕事が変わっていた
    平成の最初はIT技術者、中盤は映像カメラマンだったはずなのだが、気が付くとコールセンターのオペレータをやっている。正社員という名前がほぼ形骸化し、使い捨てにされがちな派遣社員と翻弄され続けた。本筋はクリエイター志向だったのだが、世の中うまくいかないねぇ。
  3. いつの間にか家族もバラバラになっていた
    母上が亡くなってからは家族はバラバラになって、交流も何もなくなった。
  4. いつの間にかガラケーがスマホに・ゲームがスポーツになっていた
    自分が持ち始めたのはシティフォン~Jフォンではあったが、何故かデータ通信込みで4回線も所有するに至っている。バカである。後悔はしてないけど。(笑)
  5. 創作に熱さを感じる事が減っていた
    曲作りやゲーム攻略の為だけに情熱をかけることができたが、インターネットやSNSに移行してからというもの、情報が氾濫しすぎて中々把握できず、また発信もうまくできなくて置いてけぼり感をひしひしと感じる事が多くなってきた。翻弄された結果、自分らしい作品を生み出せなかったといえる。
  6. 結局中途半端だった
    おっぱいは大きくなっても「女」には中々なれないことを散々思い知らされているが、どう合わせていくのか課題は多い。

「令和」に向けて

時代は変わっても、特別なことはない。
「STEELBLUE(仮)」は何とか立ち上げたいと思っているし、仕事もなんとかケリをつけたい。

ただ、よほどの展開無ければおそらく、時代的には最後になるかもしれない・・・と思っている。
人生が「仕事」の捨て駒にされかけている時代に、何ができるのかと考えると、何も思い浮かばない。昨今は「老害」と揶揄される事件や事故が増えてくると、中々長生きしようとも思えないし。
そんな中でもどう生きていくのか、模索の人生はまだまだ続くのだろうなぁ。

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